
仙台空港が正常化しました。3階はまだ行けませんが、2階の出発ロビーは使用出来るようになりました。おみやげ屋さんも復活して元の活気が戻ってきました。以前の仮設の出発・到着ロビーは暗い感じでしたが、明るさも戻り働いている人達も生き生きとしています。
ただ、空港から一歩外にでると、以前はたくさんあった民間駐車場のところは何もなく殺伐としています。そう考えると本格的な復旧はこれからですね。
2011.08.29 @ 7:57 月曜日
2011.06.10 @ 8:58 金曜日
写真は5月の25日仙台空港の工事中の階段。私の頭の上の津波が襲った跡の線が見えるだろうか。空港の建物はなんともないように見えるが、津波の爪あとが至るところに残っている。出発・到着ゲートは仮設の場所で1階の狭い場所を使用しているだけ。
多賀城の美味いラーメン屋「蔵」が営業していて感動した。店内は1メートル50ぐらい津波が押し寄せた跡がかすかに残っていたが、店内は全て塗装し直されて営業。お客が列を作って待っていた。味は元のまま。周りの店舗はほとんど復旧していなかったが、ここだけは活気が戻っていた。
全てが元に戻ることが出来ないと思うが、少しでも元の姿・形に戻ることを願い、普通の生活に戻れるよう願っている。
2011.05.24 @ 10:09 火曜日
震災後、東北へ行くのは明日で3回目になります。1回目は4月6日から4月12日まで苫小牧からフェリーで青森まで行き、青森営業所に寄ってから東北自動車道で盛岡に向かいました。
7日盛岡のホテルで深夜マグニチュード7の余震に遭遇。東北6県が停電、ホテルももちろん全館停電。津波警報もでましたが、私はラジオ付懐中電灯を持っていったおかげで、安心して眠ることが出来ました。
翌日、東北自動車道は再び不通となり、一般道で盛岡から仙台まで8時間以上もかかりました。仙台支社も余震で事務所がまたメチャメチャとなり、隣の事務所が壁のすきまから見える状態になり、私が着いた時はやっとかたずけが終わったところでした。
翌日、良く行ったラーメン屋の「蔵」は建物は残っていましたが、床上浸水で見るも無残。フェリーターミナルも建物だけ残り周りはトラックの荷台とクルマの瓦礫と悲惨な状態。東部自動車道を空港方面に向かうと左右の景色が津波を受けたところと、受けなかったところの明暗がはっきりと分かれていました。仙台空港もTVで見たような状態で途中の景色は全く変わっていました。
郡山は建物の損壊と原発の風評被害が大変とのことでしたが、道路は渋滞、スーパー・レストランも人で大変混雑していました。避難した人達と避難して戻って来た人達だそうです。
11日新潟からフェリーで戻る時、また大きな余震がありましたが、無事12日には苫小牧に戻ることが出来ました。
次に26日仙台で半日の会議をするために福島空港から郡山へ行き新幹線で仙台へ往復して2泊3日の日程という全くもって不便なスケジュール。明日は千歳・仙台の普通の行程に戻ることが出来ました。
今、我が社では、東北ガンバレ!ラブリーハートキャンペーンと題して、秋までイベント、雑誌、ホームページなどを活用して義援金を集めたり、協賛金の一部を義援金として東北の復興に少しでも役立ててもらおうと活動しています。皆様もご協力の程お願いします。
2011.03.23 @ 6:28 水曜日
22日東北5拠点の業務を開始しました。午後には東北支社のネットも通じ、郡山の回線も復旧しました。クライアントの被害状況はやはり仙台がひどく半分近くのクライアントが何らかの被害を蒙っていました。まだ詳細はわかりませんが、展示場が跡形もなくなってしまったところもあるようです。ただただ無事をお祈りするばかりです。
次は何とか正規の業務に入りたいところですが、岩手、宮城、福島はガソリンの入手が大変困難になっています。青森、秋田は平常に近くなっていますが、他はまだまだです。1日でも早く復旧して、元の生活を取り戻すことが被災者の願いだと思います。
2011.03.19 @ 4:10 土曜日
18日現在の東北支社の状況。仙台営業所にやっと通電、水が出るようになりました。T課長が確認してくれました。22日(火)仙台の社員は事務所の整理、クライアントの被害状況を調査することになります。家族、本人の安全を優先して活動してください。
各営業所もいろいろと大変でしょうが、クライアントの被害状況のほどよろしくお願いします。問題は福島原発の動向です。何とか沈静化することを願っているのですが、郡山営業所は身の安全を最優先してください。
東北の皆さん、まだまだインフラも未整備だと思いますが、何とかこの大事故を乗り越えて、東北支社を再建しましょう。